« 飛輪海小説『ステップアップ!』第27話~東雪篇 | トップページ | 飛輪海小説『ステップアップ!』第29話~亞綸篇 »

飛輪海小説『ステップアップ!』第28話~亞綸篇

28話「天使の継承」~亞綸篇

 ボクは今日初めて、偉偉が父親のところにいることを大東から聞かされた。大東は自分を責めていたけど、ボクだって自分のつらさで精一杯になっていた。 

  櫻雪がつらさに耐えながら受付の仕事をしていたことに、ボクはまったく気付いてあげられなかったんだ。

 だけど、偉偉はきっと櫻雪の元に戻ってくると、ボクは信じてる。 

 

 莉莉とのことがあってから数日がたっていた。あれから台北すべてのタクシー会社に電話したけど、巾着袋や吸入器の忘れ物はみつからなかった。もう捨てられてしまったのかもしれない。そう半ば諦めたときだった。ボクは念のため、タクシーを拾った場所、つまり禹哲がオーディションを受けたレコード会社の近辺を、あの日と同じ夕方頃に歩いてみたんだ。

 タクシーを捜してキョロキョロしていたボクは、仕事帰りのサラリーマンとぶつかりそうになり、避けた拍子に車道脇に転倒してしまった。

「痛っ・・・」

 立ち上がろうとしたとき、ちょうど走り出したタクシーのバンパーがボコボコにへこんでいるのが目に入った。ボクはフラッシュバックのようにあの日のタクシーを思い出す。

 あのタクシーだ!

「待って!」

 ボクはすぐ立ち上がり、タクシーを追いかけた。だけど加速していくタクシーに追いつけるはずがない。でも諦めたくない! 息が切れて死にそうだ・・・。

 そう思ったとたん、なぜかタクシーが減速した。信号だ・・・。

 ボクは止まったタクシーの運転席の窓ガラスを握り拳で叩く。驚いた運転手はムッとした表情でウインドウを下げる。ボクは切れ切れの息の中たずねる。

「最近・・・忘れ物・・・なかったですか?」

「は? そんなのないね!」

 ボクは後部座席のドアを開けて座席の足元を調べたけど見当たらない。

「おい、なんだよあんた!」

 運転席の下に手をのばし、探ってみると何かが手に触れた。布のような・・・

「あった!

「え?」

「あった! あったよ! おじさんありがとう! これボクの彼女の落し物だからもらってくよ!」

 ボクはそのタクシーには乗らずに、後ろからやってきたタクシーを止めて乗り込んだ。命が惜しいからね。あんなタクシーは二度とゴメンだ。

 莉莉のところへすぐに行こうと思っていた。だけど父さんから携帯に電話がかかってきて、李おじさんから、莉莉のことで大事な話があるって言うんだ。ボクは行き先を変えて、病院へ向かった。

 李おじさんの診察室は、心療内科だからか、普通の診察室とはだいぶ違っていた。ちょっと高級でおしゃれなマンションの一室みたいだ。おじさんがいったいボクになんの話があるんだろう。見当もつかない。

「庚霖・・・莉莉について聞きたいことがあるんだ」

「はい、ボクでわかることなら・・・」

「この前、莉莉が発作で受診したとき、彼女の保護者代わりの・・・そう、唐禹哲くんに聞いたんだが、莉莉は施設で育ったそうだね」

「はい、そう聞いてます」

「莉莉は母親に捨てられたと聞いたが、いつのことだかわかるかな?

「莉莉が7歳のときだから・・・16年前だと思います・・・たしか冬・・・2月だって・・・」

「16年前の2月?」

 李おじさんは驚きと困惑の表情を浮べた。

「・・・莉莉が捨てられたという確証はあるのかな?」 

「それはわかりません。母親は出かけたまま帰ってこなかったとしか・・・」

 そう話すと、おじさんはしばらく考え込んでいた。

「こうは考えられないかな。母親は帰ってくるつもりだったが、途中になんらかの原因で、帰ることができなくなったとね」

 もしそうだとしたら・・・莉莉は捨てられたわけじゃないってことになる・・・。そうだったらどんなにいいか!

 ボクは李おじさんに頼まれて禹哲に電話した。そして莉莉をすぐに病院に連れてきて欲しいと頼んだ。心因性ぜん息のカウンセリングと称して・・・。

      *          *          *

 ボクは隣にある部屋から診察室を伺うことになった。こちら側からは見えても診察室からはマジックミラーになっていてわからないようになっていた。

 莉莉は、ゆったりとしたリクライニングの椅子に座っている。後から禹哲もボクと同じ部屋に入ってくる。

「炎亞綸・・・これはどういうことなんだ?」

「ボクもまだはっきりとはわからないよ。でも李先生に任せてみようよ」

「莉莉、私のことを覚えているかな?」

「・・・発作のとき、お話した先生・・・よね?」

「心療内科の李というものだ。今日は、私の昔話を君に聞いて欲しくてね。いいかな?」

「李先生の昔話を聞くだけで、ぜん息が治っちゃうの?」

「まあ、すぐにというわけじゃない。長く付き合ってきた症状だからね、長い目で見ながら治していこう」

「わかった。じゃあ李先生の昔話を聞かせて」

 莉莉は無邪気だけど、神妙な表情で李おじさんのほうに向き直った。

「昔、昔・・・一人の若い女性が、この病院に運び込まれたんだ。彼女は高熱で意識がなかった。そして翌日目覚めたとき、彼女は「聴こえない・・・」と何度も言い、悲痛な叫びをあげたかと思うとまた意識を失った・・・。そして再び目覚めた彼女は、聴覚を失っていただけでなく、名前も家族のことも住んでいたところもわからない・・・すべてを忘れ去っていた・・・おそらく解離性健忘、もしくは精神分裂症という病気になっていたんだ。それに彼女は元々ひどく栄養状態が悪くて、衰弱していた・・・だけど私はその当時、学会の論文のことで頭がいっぱいでね。本当は少しの時間も惜しいくらいだったんだ。だから彼女の状態は気になりながらも、自分の部屋にこもって論文を書いていた。彼女の身元も、なんの手がかりもないまま、3日が過ぎ、病院で論文を書きながら居眠りし朝を迎えてしまったある日のことだった。早朝にラウンドした看護師が、血相をかえて私を揺さぶり起こしたんだ。彼女がベッドにいない・・・布団も冷え切っていると・・・」

 

 李おじさんの昔話を、ボクと禹哲はかたずをのんで聞いていた。禹哲も勘のいいほうだ。この昔話が何を意味するのか、もうわかっていると思う。だけど莉莉は純粋だ。目を潤ませ、胸を両手で祈るように抑えながら聞いている。李おじさんは続ける。

「彼女は病院の近くの植え込みの中に倒れているところをみつかった。だけど冷たい雨に打たれていたせいで、症状が悪化し、肺炎を起こしてしまっていたんだ。そのとき、記憶のないはずの彼女が、何か歌っていることに気付いたんだ・・・高熱で意識も朦朧としている中、聴覚を失ったはずの彼女はずっと歌い続けていた・・・」 

 李おじさんはそこで声を詰まらせる。

 莉莉は無表情だけど、動揺していることが見て取れた。そばに行って抱きしめてあげられたら・・・見守ることしかできない自分が歯がゆい。

「そして・・・その翌日・・・つまり彼女が初めに運び込まれた日から六日後に彼女は息を引き取った・・・忘れもしない、16年前の2月25日・・・今日が彼女の命日だ」

 ボクは・・・禹哲と背中合わせで身じろぎひとつできないでいた。涙がこぼれそうで、天井を見上げても頬を伝い落ちていく。声を出さないでいることは難しかった。禹哲も同じだとわかっていた。

 莉莉の顔は蒼白で、自分の体を抱きしめるようにしている。

 禹哲が振り絞るような声でボクに話し始めた。

「衰弱した莉莉が宅配の配達員に発見されたのも・・・2月25日だったって・・・あいつ、自分の本当の誕生日を覚えているくせに、2月25日を誕生日だって言いはるんだ・・・。自分を生んだ母親に対する、あいつなりの反抗だったのかもしれない。でもまさかその日が命日だったなんて・・・」

 禹哲がどんなに莉莉のことを大事に思っているか、痛いほど伝わってくる。

「施設の院長が言っていた・・・配達員があの日、誤配で莉莉のアパートに行っていなければ、死んでいたかもしれないって・・・配達員は言ってたらしい。あのアパートはボロボロで、人が住んでるなんて思ってもみなかったって・・・どうしてあそこへ間違って配達しようとしたのか、自分でもわからないって・・・その話を聞いたときは無神論者の俺でさえ、神の導きを信じずにはいられなかったさ。だけど導いたのは神でなく母親だったのかもしれないな・・・」

 禹哲は神を信じていなくても、親の愛情は信じたいんだと思った。神様は、莉莉の母親も、禹哲と櫻雪の両親も救ってはくれなかったけど、莉莉の命は母親が自分の命に代えてでも救おうとしたのだと・・・。

 

 李おじさんは莉莉の様子を伺いながら昔話を続ける。

「子供たちが・・・小児病棟の子供たちが歌っているのを聴いて驚いたよ・・・。16年前、彼女が歌っていた歌と同じだったんだ・・・。私はずっとあの歌を忘れることができないでいた・・・。警察からその後なんの連絡もなく、彼女の身元はわからないままになっても、私は彼女のこととあの歌を忘れることができなかった。子供たちから、キミがあの歌を歌ってくれたと聞いたとき・・・どんなに後悔の念にかられたか・・・。論文にかまけて、彼女の心の声を聞き取ろうとしなかった・・・。女性が無意識でも守ろうとする存在がわが子だと・・・もしかして彼女には子供がいるんじゃないかと脳裏に浮かんだはずなのに、私は自分のことでいっぱいで、その可能性を否定してしまったんだよ。そのせいで、彼女の娘が・・・キミが・・・どんな思いでこの16年間という長い時をすごしてきたのか・・・本当に・・・本当にすまなかった・・・」

 李おじさんはカウンセリングをしていたんじゃない・・・これは・・・これは懺悔なんだ・・・。 

 それまで一言も話さなかった莉莉が、封印していた記憶をたぐり寄せるように語り始める・・・。

「ママは・・・歌が大好きだった・・・。シンガーソングライターの夢があったけど、17歳であたしを一人で生んで育ててくれた・・・。すごく貧しくて、食べるのもやっとだったのに、ママはいつも明るく笑っていて、いつも歌ってくれたの。いつか絶対にCDデビューするんだっていう夢を捨ててなかった。あたしも信じてた。日々の生活と仕事に追われ、ママのつくった歌は一曲しかなかったし、歌詞だってまだなかったけど、あの歌があたしは大好きだった。ママに捨てられたと思ってからは、ママのことを恨みながらも、やっぱり楽しかった思い出は忘れられなかった・・・あの歌も、歌うことも大好きだって気持ちはあたしの中から消えなかった・・・。もし、あたしも耳が聴こえなくなったら、同じように、きっと正気ではいられないと思う・・・」

 莉莉はそこまで一気に話し続けると、深く深呼吸した。

「その人は・・・あたしのママです」

 莉莉は自分に言い聞かせるようにそう言い切った。胸をはって。

 看護師が診察室をノックして入ってくる。何か慌てているように見える。

「李先生! 失礼します。緊急なものですから・・・」

「なんだね?」

「邱(チウ)さんが・・・邱淑芳(チウ・シュウファン)が危篤状態です! もうこれ以上の延命措置は・・・」

 邱淑芳? その名前はついこの前父さんから聞いたばかりだった。心療内科から内科に転科した患者さんで、亦儒兄さんを夫だと思いこんでるっていう、身寄りのない末期がんの女性だ。最近は夫だけでなく娘もいると話し始めたって聞いている。

「莉莉、すまないがその患者の元へ行かせて欲しいんだ。邱さんは心の病と末期がんを患っている40過ぎの女性で身寄りがないんだ。・・・キミのお母さんも生きていれば同じ年頃だね」

「李先生・・・あたしも行っちゃだめですか? その人に歌ってあげたいの!」

 莉莉にはいつも驚かされてばかりだ。危篤の見ず知らずの女性に歌を聴かせたいなんて! だけど李先生はとっさに判断したみたいだった。邱さんを看取らせることが、今の莉莉には必要なんだってことを・・・。

 いつか会えるかもしれないと思っていた母親が、すでに亡くなっていると聞かされた今日こそが莉莉にとって本当の命日なんだ。16年前の2月25日でなく、今日っていう2月25日・・・。だから彼女を看取ることが、莉莉にとっての母親との別れの儀式になるんだと思った。

「先生、陳奕儒さんに連絡しましょうか?」

「いや、彼にそこまでの負担はかけられない」

 看護師とおじさんがそんなことを話していた。

 ボクと禹哲は、内科病棟の邱さんの病室の前で莉莉を待つことにした。禹哲もボクも、莉莉が心配で気が気じゃない。でも大丈夫だよね? 李おじさんが一緒なんだから・・・。でも人の死に立ち合うなんて、莉莉に耐えられるんだろうか・・・。ボクだってそんな経験がない。そんなとき、父さんが現れた。

「李志忠のやつ、相変わらず患者に全力投球だな。もうあんな後悔を、二度としたくないと言ってたからな・・・」

「父さん・・・ボクも中に入っていい? 亦儒兄さんの代わりを演じるから! ボクも後悔したくないんだ。莉莉のそばにいてやりたい・・・莉莉と一緒に、邱さんを看取りたいんだ。父さん! お願いします!」

 ボクが父さんに、こんなにかしこまって頭を下げるなんてこと、芸能活動を認めてもらおうとしたとき以来かもしれない。

「莉莉というのは、この前ぜん息発作で入院した子だね? 彼女も中にいるのか・・・」

 父さんは少し考え込んでから答えた。

「しばらくはキツイかもしれんぞ・・・覚悟はできてるんだな? 呉庚霖」

「はい!」

 ボクの返事を聞くと、父さんは病室に入っていった。

 そう言えば、父さんがわざわざボクの名前をフルネームで呼んだのも、芸能活動を認めてくれたとき以来かもしれない。医者にならないボクを・・・血のつながりのないボクを呉姓で呼ぶ意味を、ボクは深く受け止めていた。“父さんの息子だ”と父さんの心の声が言ってる気がした。ボクは呉姓になったときから、ずっと父さんの息子になれたことを誇りに思ってるって、父さんは知ってるかな? 

 父さんと初めて出会ったのもこの病院だった。母さんの病気を手術で治してくれた呉先生に、子供心にどんなに感謝したか・・・。まさか母さんが恋に堕ちて結婚することになるとは思ってなかったけど。あのときの母さんの猛アタックは本当にすごかった。奥さんを亡くして3年しかたっていなかった父さんをOKさせたんだから。半分泣き落としだったけどね。

 病室から父さんが戻ってきた。

「担当医と李の了承をとった。邱さんはモルヒネでほとんど意識はないが、気持ちは通じるはずだよ」

 病室に入ると、莉莉は邱さんの枕元に膝まづき、彼女の手をとって歌っていた。一人で歌っているのに、声の震えもかすれもなく、とてもきれいな声で歌っている。

 天使の歌声・・・莉莉の歌声には、いつも温かなオーラのようなものを感じる。きっと母親の歌声もそうだったに違いない。

 莉莉は、母親から受け継いだ声と、この愛の歌があったから、悪魔に支配されずに生きてこれたのかもしれない。

 母親に捨てられたと思い込んでいた絶望の中、莉莉は他の誰よりも慈愛に満ちた心の持ち主でいられたのは、歌という希望を捨てずにいたからなんだと思う。

 

 担当医らしき先生や看護師、それに李おじさんは、そんな二人を見守るようにして立っていた。おじさんと目が合うと、おじさんは深くうなづいた。

 ボクは莉莉のすぐ横に同じように膝まづき、邱さんの手をとる莉莉の手の上に自分の手をのせてから邱さんに話しかけた。

「ボクだよ・・・亦儒だ・・・。遅くなってすまなかったね、淑芳」

 莉莉はボクが現れたことに少し驚いた表情をしたけど、そのまま歌い続けている。

 邱さんの反応はない。

「百万回言っても足りないくらいに愛してるよ」

 亦儒兄さんが姉さんによく言っている言葉・・・こんなこと普段のボクじゃとても言えない。

 それでも、やっぱり邱さんの反応はなかった。

 そうしてボクと莉莉は歌いながら、邱さんを最期まで看取ったんだ。

 

 莉莉は彼女の手を、そしてボクはその上から莉莉の手をしっかりと握ったまま・・・。

第29話「幸せなキス」~亞綸篇へつづく・・・

目次と登場人物~大東&亞綸篇

|

« 飛輪海小説『ステップアップ!』第27話~東雪篇 | トップページ | 飛輪海小説『ステップアップ!』第29話~亞綸篇 »

飛輪海小説『ステップアップ!』東綸篇」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 飛輪海小説『ステップアップ!』第27話~東雪篇 | トップページ | 飛輪海小説『ステップアップ!』第29話~亞綸篇 »