第2話「櫻雪の香り」~大東篇
週刊誌にあの一件が報じられてから数日がたつ。どこへ行っても記者たちはそのことしか聞いてこない。オレは、前のドラマの共演女優との熱愛報道もあったせいで、「二股なのか」とか「乗り換えたのか」とかそんなことばかり聞かれ続けてうんざりだ。
映画初出演初主演ってだけでナーバスになりそうなときに、オレって相変わらずツイてないな・・・。
その映画は、阿明(アミン)の書いた小説が原作だ。アイツはオレとの冗談みたいな昔の約束を律儀にも貫いた。あの夏の夜、オレの家で酔った阿明が言ったんだ。「いつか大東の主演映画になるような、いいもの書くからね」ってさ。
阿明は、制作側とうちのプロデューサーを説得し、「汪東城でなければ成立しません」と言い切ったらしい。なんの根拠があって、オレのイメージとは程遠い“父親役”でオファーしてきたのか、今のオレには理解できない。
去年一番のベストセラーになった原作の映画化とあって、世間はいろいろ好き放題言ってくれる。「汪東城で大丈夫なのか」ってね。
正直プレッシャーがないわけじゃない。だけど、もうこうなったらなるようになれだ!
* * *
「嘘だろ・・・」
事務所の一階ロビーから、エスカレーターで二階に上がる途中、下る方のエスカレーターに阿明がいることに気付いた。アイツはすれ違いざまににっこり笑って手を振っている。おい、それだけで帰る気か? オレは逆向きにエスカレーターを一段飛ばしで駆け下りた。
アイツはそんなオレを笑いながら待っていた。
「大東ったら、子供じゃないんだから」
「なんだよ、何しに来た? オレに会いにか?」
「う~ん、それもあるかな」
「そこは否定するところだぞ」
と言いながらもニヤリとしそうになる。
「台本を持ってきたついでに、ちょっと社長さんにお願いすることもあったの」
「台本ができたのか!」
「一週間前に書き上げたの。一度プロデューサーが目を通してから、大東に渡すって言ってたわ」
「だろうな。あのプロデューサーうるさいんだよな、いろいろ・・・。で、社長にお願いってなんだ? 天下の人気作家“明日香(ミン・リーシャン)”の頼みなら、社長は二つ返事だっただろ?」
「まあ、そんなところね」
「何様だよ!」
オレがそう言うと、阿明は心からおかしそうに笑った。それだけでオレは満足だ。
そこへ警備員がなぜか小走りで近づいてくる。
「へんな男が外から様子を伺ってますよ。追い払いましょうか?」
記者か? しつこいヤツだな。
「いや、ほっておけばいいよ。 呉香明(ウー・シャンミン)、あっちへ行こう」
ロビーの一角にある応接室に阿明を連れて入る。
「ねえ大東。大変だったのね。昨日弟から事情は聞いたわ」
亞綸のヤツ、いちいち阿明に報告するなよ! 余計なこと言ってないだろうな。
「ああ、仕事の延長だよ。オレは無実だってのに、マスコミはすぐに騒ぎたがる」
「わかってる。わたしは大東のこと信じてるから」
そんな信じ切った目で見ないでくれ。今回は何もなかったが、なんだかすごくやましい気持ちになる。
「当たり前だろ。この仕事している以上、いろいろ噂されるのは仕方ないさ」
外で記者が張っているから、オレは阿明を外まで見送らず、応接室で別れた。
なんだろう。最近のアイツは母親みたいにオレを心配している。昔はどこか危うくて、そのくせ弱い部分を見せまいと強がったりするところがあったのに、今ではそんな弱さや強がりは微塵も感じさせない。母は強しってやつか。それとも旦那に守られてる安心感からか? どっちにしろ、オレにとって聖母のような存在になりつつあることは確かだ。
オレってもしかして恋愛相手にも母性を求める筋金入りのマザコンなのか!?
この前までドラマの撮影で忙しかったから、阿明のマンションにしばらく行けないでいた。今度、裕惠にオモチャでも買っていってやろう。映画がクランクインしたら、また行けそうにないからな。でもアイツ、陣中見舞いに来てくれるだろうな。そんな先のことを想像するだけで、なんだか楽しくなってきたぞ!
応接室のソファに寝転がって、しばらくそんな妄想にふけっていると、誰かがノックしてドアを開けた。スタッフだった。
「あら、大東、こんなところにいたの? マーキーが探してたわよ。衣装合わせがあるんでしょ?」
「いけね、そうだった。サンキュ」
スタッフとすれちがってあわてて応接室を出たとき、どこか懐かしい、ほのかにいい香りがした。とっさに振り返ると、もう一人、女が応接室に入っていくのが見えた。背がスラっと高い、長い黒髪をうしろに束ねた黒のパンツスーツの女。顔は見えなかった。
来客か? おっと、それどころじゃない! オレはエスカレーターを一段飛ばしで駆け上がる。
* * *
翌朝、オレはまた事務所に顔を出すことになってしまった。映画の台本を受け取るためだ。昨日の仕事が長引き疲れてはいたが、一刻も早く、アイツの台本に目を通したかった。エスカレーターで2階フロアーへ、それから眠い目をこすりながら一人、エレベーター待ちをしていた。扉がひらき、中に乗り込み“閉”ボタンを押そうとすると、「待ってください!」っと女の声がしたから手を止める。すると見知らぬ女がエレベーターに駆け込んできた。彼女は「すみません!」と頭を下げ、顔を上げてオレの顔を見ると「あっ!」と小さな声をあげた。オレが汪東城だと気付いたからだろうな。
「何階?」
少しクールにキメて尋ねるオレ。
「えっと・・・7階です」
7階と8階のボタンを押してから、ふと昨日と同じ、あのいい香りがすることに気付いた。長い黒髪・・・昨日の応接室に入っていった客? このコの香水なのか? 彼女は、昨日とは違うグレーのパンツスーツを着ていた。何センチある? ヒールの高さをひいて、165センチくらいだな。けっこうスタイルはいいけど、凹凸が足りないか。どこかのモデルか? 長いきれいな黒髪は、昨日同様うしろで束ねてある。横顔は凛としていて、どこか男を寄せ付けないようなオーラを出している・・・。普通ならオレだって気付いたら、他にも反応がありそうなもんなのに、彼女はまっすぐに扉を見ていてそんな様子を見せない。まあ、オレのタイプじゃないからいいけどさ。何歳だ? スッとしたきれいな細い首。
25歳くらいだな。
7階について扉が開くと、彼女は急いでるのか「お先に」と軽く会釈して、小走りで去って行った。いい香りを残して・・・。懐かしい・・・。この香りをそう感じるのはなぜなんだろう・・・。
* * *
台本を社長から受け取り、心構えみたいなものを聞かされ激励をうけた後、プロデューサーからは、「おまえの思うようにやれ」と、いつになく謙虚な言葉をもらう。
いいのか? “セクシー&クール”路線から思いっきりはずれても? 昨日、呉香明はこの台本を持ってきただけでなく、社長とプロデューサーになんらかの念押しをしたに違いない。
オレは7階のスタッフルームへ行ってみる。もしかして彼女に会えるかもしれないという下心があった。タイプでなくても、なぜか気になる。
「タン・ユンシュエさんには、今週は社員の顔と名前を覚えてもらうために、いろんな部署でみんなの仕事を手伝ってもらうから、いろいろ教えてあげてちょうだいね」
ちょうどヤンさんが彼女を紹介しているところだった。新しいスタッフなのか? タン・ユンシュエ? “唐英雪”か?
「あら、おはよう大東。台本受け取った?」
ヤンさん、そんなことより彼女を紹介してくれよ。
「ああ、ここで読んでくよ」
そう言いながら、オレは彼女・・・唐英雪にチラっと目をやる。首から下げた社員証に“唐櫻雪”とある。“英”じゃなくて“櫻”のほうか・・・彼女のイメージ通りの名だな。
「そうだ、大東。紹介するわね。唐櫻雪よ。今の受付の子が一人今年いっぱいでやめるから、今日から研修期間で来てもらうことになったのよ」
「唐櫻雪です。よろしくお願いします」
受付嬢なのか。
「櫻雪、知ってると思うけれど、汪東城よ。“大東”でいいから」
唐櫻雪はさっきからオレをというより、オレが持っている台本を見ている気がする。
「櫻雪、その台本が気になる? ”明日香”本人による脚本ですものね。あなた明日香のファンなんですってね?」
「何度読んでも泣けるんです。初期のラブストーリーも大好きだったけど、父と娘の愛情を描いた“非以心傳心”は、別次元で素敵なお話ですよね!」
相当なファンだな。アイツにも聞かせてやりたいよ。
「大東、心して演じないとね。明日香には櫻雪みたいな崇拝読者が何万といるんだから、がんばりなさいよ!」
バンっとヤンさんに背中を思いっきり叩かれて咳き込みそうになる。手加減してくれよ、体が資本なんだからさ。
「昨日、明日香が櫻雪と同じ頃に来てたらしいけど、会わなかった?」
オレはラッキーにも会えたけどね。
「ええ・・・」
「それは残念だったわね。わたしも会えなかったのよ。会えたら聞きたいことや話したいことが山ほどあるっていうのに。でもあなたは受付にいれば、いつか会えるでしょう。会えたときにサインくらいならもらってもいいわよ」
ヤンさんは、明日香の正体が阿明だと、実は知っている。ヒロと呉尊が同棲していたことも知っていたし、飛輪海の頃のプライベートの秘密を、彼女はほとんど知っていて、うまくとりなしてくれていた。絶対に口外はしない、プロ中のプロの敏腕マネージャーだ。
だから今も、他のスタッフや唐櫻雪の手前、明日香に会ったことがないふりをしたんだろう。
社長も、明日香が阿明だと知っているから、亞綸の姉貴で亦儒と結婚していることも、もちろんわかっているはずだ。まだ公になっていないこの事実を、社長はどの段階で発表する気だ? 阿明原作の亞綸主演のドラマの時でさえ、公表しなかったのだから、阿明のプライバシーを守ろうとしているのか? プロデューサーが知ったら、絶対にだまっていないだろうな。映画の宣伝に利用するに違いない。
唐櫻雪が他のスタッフに混ざって仕事をしている間、オレは部屋の隅にある、つい立てでさえぎられた応接セットのソファで映画の台本を読みふける。
時々台本越しに、つい立ての隙間から彼女の仕事ぶりを観察していたが、どうも見た目の、“ちょっとできる女”風の見た目とは裏腹な場面を幾度か目にする。
コピーをとるのに時間がかかりすぎる。途中、トナーがなくなり、スタッフが全員、会議で出払ってるから誰にも聞けず交換するのに悪戦苦闘している。なんとかできたはいいが、コピー後、原本をコピー機に残したままなのに気付かない。
しかも顔に黒いトナーがついてるのにも気付かない始末。
もしかして今まで一度も働いたことがないのか? いったいどこのお嬢様だ?
今度は棚の上のほうの分厚いファイルをとろうにも、微妙に届かず困っている。 おい、まさか椅子にのって取る気じゃないだろうな・・・回転椅子は危ないだろうが! ああ!
「キャッ!」
オレは反射的にソファから立ち上がった。
「大丈夫?」
彼女のピンチを救ったのはもちろんオレじゃない。離れた場所にいたから間に合うわけがなかった。 倒れてきた彼女の体を受け止めたのは、まぎれもなく、炎亞綸だった。彼女は今、亞綸の腕の中にいる。その体勢のまましばらく見つめあう二人・・・。おい! もう離れてもいいだろが!
「ご、ごめんなさい!」
亞綸の腕から跳びのく彼女の顔は真っ赤になっている。
「ありがとうございました!」
ハイヒールをぬいだまま、何度もお礼を言う彼女は、亞綸と並ぶといい感じに釣り合って見える・・・。
「キミ、新しく入ったの?」
亞綸は彼女の胸元にぶら下がってる社員証をひょいと手に取る。こら! セクハラだぞ!
「唐櫻雪か・・・キミにぴったりの素敵な名前だね」
おい! それはオレのセリフだ! オレが口に出せなかったことを、亞綸はあっさりと言ってのけた・・・。
「櫻雪、スタッフ誰もいないけど、どこに行ったのかな?」
なんだそのなれなれしい呼びかたは! それにオレがここにいるだろうが!
「あの、今、会議中なんです」
そう言う彼女の顔をじっと見つめ、アイツはなぜか左手で彼女の右頬にそっと触れた。アイツこんなところで何する気だ!! 亞綸の顔がゆっくりと彼女の顔に近づいていく。 亞綸!
「ほら!」
亞綸は左手の親指を彼女に突き出し、指が黒くなっているのを見せる。
「これトナーか何かだろ? ほっぺについてるよ」
は!? そういうこと? だけどもうひっこみがつかないところまで出てきてしまっているオレ・・・。
「・・・大東、いたんだ? 何やってんの?」
「・・・見ればわかるだろ、台本読んでんだ!」
オレは不自然ながらもそう言いながら立って台本を読むふりをする。
「ふ~ん・・・。あ、それ今度の映画の? もう出来たんだ」
「それよりオマエなんの用だよ。ボイストレーニングの時間じゃなかったのか?」
「今日のボイトレは11時からだからさ、その前にこれ返しに来たんだよ。うちに置いておくのも邪魔だからね」
亞綸はそう言って意味ありげに笑いながらデスクに週刊誌を置いた。表紙には“大東、新人女優に手をつけた!?” 唐櫻雪の目線は確実にその見出しをとらえている。
「オマエ! そんなの捨ててこいよ!」
オレはあわててそれを筒状に丸めてゴミ箱に投げ入れる。
「早く行けよ! あのトレーナー、遅刻するとうるさいぞ!」
「はいはい! 櫻雪、仕事頑張って! なんかあったらボクに相談しなよ」
「ありがとうございます!」
唐櫻雪は頬を紅潮させ亞綸を見送っている。 アイツばかりいいとこ持ってきやがって! クソっ! オレだって・・・
「・・・あのさ、オレにできることがあったら・・・」
そこまで言いかけたとき、会議が終わったスタッフたちが戻ってきてオレのその先のセリフはかき消された。
オレはいったい何やってんだ? 別に彼女に興味なんかない。単なる亞綸への対抗心にすぎないはずだ!
第3話「天使か悪魔か」~亞綸篇につづく・・・
目次と登場人物~東綸篇